私が子供のころ、朝の風景にあった声

私が子供のころ──
毎朝の食卓には、母が作ってくれた朝ごはんと、浜村淳さんの声がセットでした。

トーストと目玉焼き、味噌汁とごはんの日もあって、
テレビはつけずに、ラジオだけが流れている静かな朝。

「ありがとう浜村淳です」のオープニングが流れると、
私はランドセルを背負いながら、つい口ずさんでしまっていました。

「ありがとう〜♪ 浜村淳です〜♪」

母が笑って「また歌ってる」と言いながら、
私は鼻歌まじりに玄関を出て、学校へ向かう。

それが、私の“朝のスイッチ”でした。

復帰のニュースに、思わず声が出た朝

そんな記憶がずっと心に残っていて──
今朝、「浜村淳さん復帰へ」というニュースを見た瞬間、思わず声が出ました。

90歳での現場復帰。
大腸がんの手術を経て、またあの声がラジオから流れてくる。

正直、こんなにテンションが上がったのは久しぶりでした。
それはきっと、あの番組が“ただのラジオ”じゃなかったから。

毎朝の生活の中で、
何気ない時間の中で、
浜村淳さんの語りが、私の心にずっと残っていたから。

だから今日は、
「ありがとう浜村淳です」を聴いていた頃のこと、
そして、復帰のニュースを見て感じたことを、
自分の言葉で残しておきたくなりました。

母と私と、浜村さんの声がつくってくれた朝

映画の話になると、母が「それ観たわ」と言ってくれたり、
世間話の中で「この人、よう知ってるなぁ」と感心したり。

母と私と、浜村さんの声がつくってくれた、
“家族の朝”だったんだと思います。

何度も救われた、あの声の記憶

思い返せば、あの声に何度救われたかわかりません。

就職活動でうまくいかなかった朝も、
家族とちょっと気まずくなった朝も、
何もないのに気持ちが沈んでいた朝も──

「ありがとう浜村淳です」が始まると、
なんだか“人のいる空気”が部屋に流れ込んできて、
「まあ、今日もやってみるか」と思えたんです。

映画の話も、世間話も、時にはちょっと毒のあるコメントも、
全部含めて“生きてる感じ”がして、
ラジオって、こんなにも人を支えてくれるんだなって思いました。

だから今回の復帰ニュースは、
ただ懐かしいだけじゃなくて、
「またあの空気が戻ってくるんだ」と思えて、
心の底から嬉しかったんです。

ラジオの声が伝えてくれる“人の温度”

ラジオって、顔が見えないのに、なぜか“人柄”が伝わるメディア。

浜村淳さんの声には、時代を超えて届く“人の温度”がありました。

これからも、無理せず、ゆっくりと、
あの語り口で、また朝を迎えてくれることを願っています。

「ありがとう浜村淳です」──この言葉は、リスナーの私たちこそ言いたい言葉なのかもしれません。