私は会ったことがないけれど
主人の祖母は、倉敷市下津井で仲人をしていた人だったそうです。
私は直接お会いしたことはありません。
でも、主人の父からその話を聞いたとき、なんだか胸が熱くなりました。
衣料品店と、人情の厚さ
祖母は、下津井で衣料品店を営んでいたそうです。
町の人がふらっと立ち寄るような、あたたかいお店だったと聞きました。
知り合いも多く、人情も厚かった祖母は、
いろんな人から「だれかいい人いない?」と声をかけられていたそうです。
正式な結婚相談所ではなく、
地域の信頼者として、自然と“仲人さん”になっていた──
そんな存在だったのだと思います。
港町・下津井に根づいていた“人をつなぐ文化”
下津井は、昔から人の出入りが多い港町。
漁師さん、商人さん、旅人──いろんな人が行き交う場所でした。
そんな町だからこそ、地域のつながりが濃くて、
「誰かが誰かを紹介する」文化が自然に育まれていたのだと思います。
祖母がしていた仲人のかたち
主人の父の話によると、写真も手紙も、すべて手渡し。
今のようなアプリもプロフィールもないけれど、
そこには確かな“人の温度”がありました。
今はもう、直接聞くことはできないけれど
祖母が仲人をしていた頃の話は、私は直接聞いたことがありません。
祖母はすでに亡くなっていて、私はお会いしたこともありません。
でも、語られる言葉のひとつひとつに、
祖母の人柄や、町の空気がにじんでいて──
私はその記憶を、まるで自分の記憶のように感じながら、
今こうして文章に残しています。
いつか、どこかで
主人の祖母がつないだご縁は、たくさんあると聞いています。
どんな方々が、どんな人生を歩まれたのか──
私は直接知ることはできないけれど、
その一組一組に、祖母の想いや人柄が宿っていたのだと思います。
もし、いつか何かのご縁で、
祖母が仲人をされた方とお会いできることがあれば──
そのときは、ぜひいろいろお話を聞かせていただきたいです。
祖母がどんなふうに人をつないでいたのか、
どんな言葉をかけていたのか、
どんな笑顔で送り出していたのか──
その記憶の続きを、そっと教えてもらえたら嬉しいです。
人をつなぐということ
時代が変わっても、人と人が出会うことの本質は変わらない。
便利なツールが増えても、
「誰かが誰かを想って、つなぐ」という行為には、
やっぱり“人の温度”が必要なんだと思います。
主人の祖母がつないだ縁の記憶。
それは、私が直接知っているわけではないけれど、
今も私たちの中に、静かに息づいています。





